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残念ながら、笙野頼子の小説には分かり難い言葉が多用されている。笙野の主張によれば、読者・ファンのブログで議論され検討されているということなのだが、世の中、そんなにディープなファンばかりではないし、やはりもう少し工夫してもらいたいものだと思うのだ。
さて、笙野の分かり難い言葉の一つに「火星人」があるのだが、これについては議論されているのだろうか? ネットで検索してもほとんど出てこない・・・。いやイヤ、よくみると、ある! 一つは私のブログだ(まだ本格的に議論していないが(苦笑)。もうひとつは、なんと「火星人クラブ」というHPだ。「火星人クラブ」は女性文学研究者たちが真面目に書いているものなのだ。だが、火星人を論じるのが火星人だったというのはちょっと笑える。議論としては、この人たちも、笙野の火星人を被植民地人と規定しているので、私の方向性とほとんど変わりないようだ。
ポストコロニアル文学を研究をしようという私が、笙野の火星人に被植民者またはサバルタンを見出し、火星人クラブが笙野の火星人を議論する。。。なんて、当たり前すぎる図式的展開なんだろう!だが、そういう枠組みを持たない普通の読者は、笙野作品の火星人をどのように受け止めたのだろうか?たんに戸惑っているだけではないのだろうか?
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ちなみにSFの火星人は植民地人のメタファーであることは、しばしばあるようです。たとえば、H.G.ウェルズの来襲してくる火星人にも、大英帝国の植民地主義の罪悪感が絡んでくるらしい。
また私は安部公房をポストコロニアル文学者とみなすと、より理解しやすくなると考えているのです。というのは、満州体験が反映した作品ばかりでなく、たとえばSF作品にも植民地という問題設定が読みとれるからです。ちなみに、『人間そっくり』の火星人の正体は、地球人クレオールであると説明しているところがあります。(したがって被植民者というよりは、開拓移住をするほうの植民地人ということですね)。また、『第四間氷期』の水棲人は、水中開拓植民地における人間の変形がテーマだと言えるのです。
1 件のコメント:
練習としてコメントというものに書込。
グーグルのブロッガーは、もしかすると不便かもしれません。他の媒体にのりかえたほうが良いかも。
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