2009年5月12日火曜日

脱植民地化の展望(木畑再考)

以前、このブログは始めた頃、歴史学者・木畑の文学研究者サイードの批判をとりあげた。そのうち、とくに重要だったのは、次の箇所だった。

歴史的コンテクストにあまり注意を払わずに、多様なテクストを「コロニアルな言説」として一様に読み解いていく体の作品においては、歴史のダイナミズムを求めるべくもない。ポストコロニアリズムというからには、植民地支配の確立の過程、支配をめぐるさまざまな闘争の過程、脱植民地化(政治的独立という意味での狭義の脱植民地化)の過程、さらに独立後の変化の過程を見通す視座が必要であろう

あらためて考えてみるが、木畑は自覚していなかった(!)にもかからず、非常に重要な論点だからである。なぜか

木畑の議論を敷延すれば、(1)植民地化の過程 (2)支配をめぐる諸闘争の過程 (3)脱植民地化と独立の過程についての視座が必要である、それなのに、サイードはそれを怠っているというのである。

よろしい。その通りである。だが、歴史学者たちのほうは、文化の脱植民地化の過程を射程にいれ、実証的に研究する準備ができたといえるのだろうか? いや、そういう意地悪な問いかけはもうやめて率直に問おう。文化が脱植民地化した適当な歴史的事例が存在するだろうか? 脱植民地化というのは、空しい夢だったのではないのか?

たしかに、たとえば、アイルランドが独立しアイルランド語が公用語になった。あるいは、フィリピンが独立してフィリピーノ語が公用語になった。だが、脱植民地化と言いうるような文化的変動にたどり着いたと言えるのだろうか? あるいは内的植民地となったアイヌ人やチャモロ人にはどのような展望があるというのだろうか?

実のところ我々は、不幸にも植民地化されてしまった文化について、その脱植民地化とはいかなる事態なのかということさえ見当もつかないのである。(なお、私は韓国やジャワのような民族については歴史的な被抑圧民族であったとおもうが、植民地化されたとは考えていない)。


植民地化された文化は脱植民地化されることはないと言い切って良いのだろうか。私には判らない。ただ言えるのは、いまのところ、植民地化してしまった社会は、その既成事実を前提のうえで、新たな世界の模索をしつづけてるかしかなかったということだった。ポストコロニアル理論家や文学者というのは、まさに植民地人が、植民地人でありながら文化的に貢献しようとする姿勢にすぎないのである。

たとえば、イレートの19世紀末フィリピン革命研究も、そういった作品の一つであった。要するに文化的に植民地化してしまった人々、すなわちカトリシズムの宗教と言語を受け入れてしまった人たちが、脱植民地化(あるいは脱カトリシズム化)することなしに、抵抗の論理を構築していったという事例研究であった。(イレートの研究について、フィリピン人の脱植民地化の試みであると誤読する研究者が多かったのだが、どう考えても甘かったのだ。決して脱植民地化できなかった人々が、彼らなりの努力をしていたという記録なのである。その証拠に、今なおフィリピン人は植民地的である)。

キリスト受難詩と革命―1840~1910年のフィリピン民衆運動 (叢書・ウニベルシタス)キリスト受難詩と革命―1840~1910年のフィリピン民衆運動 (叢書・ウニベルシタス)
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