2008年5月16日金曜日

植民地人としての火星人ーー笙野頼子と安部公房

だいにっほん、ろんちくおげれつ記だいにっほん、ろんちくおげれつ記
笙野 頼子

講談社 2007-11-01
売り上げランキング : 129846

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


人間そっくり (新潮文庫)人間そっくり (新潮文庫)
安部 公房

新潮社 1976-04
売り上げランキング : 58304

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


宇宙戦争 (創元SF文庫)宇宙戦争 (創元SF文庫)
H.G. ウェルズ H.G. Wells 中村 融

東京創元社 2005-06
売り上げランキング : 86198

Amazonで詳しく見る
by G-Tools




残念ながら、笙野頼子の小説には分かり難い言葉が多用されている。笙野の主張によれば、読者・ファンのブログで議論され検討されているということなのだが、世の中、そんなにディープなファンばかりではないし、やはりもう少し工夫してもらいたいものだと思うのだ。

さて、笙野の分かり難い言葉の一つに「火星人」があるのだが、これについては議論されているのだろうか? ネットで検索してもほとんど出てこない・・・。いやイヤ、よくみると、ある! 一つは私のブログだ(まだ本格的に議論していないが(苦笑)。もうひとつは、なんと「火星人クラブ」というHPだ。「火星人クラブ」は女性文学研究者たちが真面目に書いているものなのだ。だが、火星人を論じるのが火星人だったというのはちょっと笑える。議論としては、この人たちも、笙野の火星人を被植民地人と規定しているので、私の方向性とほとんど変わりないようだ。

ポストコロニアル文学を研究をしようという私が、笙野の火星人に被植民者またはサバルタンを見出し、火星人クラブが笙野の火星人を議論する。。。なんて、当たり前すぎる図式的展開なんだろう!だが、そういう枠組みを持たない普通の読者は、笙野作品の火星人をどのように受け止めたのだろうか?たんに戸惑っているだけではないのだろうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちなみにSFの火星人は植民地人のメタファーであることは、しばしばあるようです。たとえば、H.G.ウェルズの来襲してくる火星人にも、大英帝国の植民地主義の罪悪感が絡んでくるらしい。

また私は安部公房をポストコロニアル文学者とみなすと、より理解しやすくなると考えているのです。というのは、満州体験が反映した作品ばかりでなく、たとえばSF作品にも植民地という問題設定が読みとれるからです。ちなみに、『人間そっくり』の火星人の正体は、地球人クレオールであると説明しているところがあります。(したがって被植民者というよりは、開拓移住をするほうの植民地人ということですね)。また、『第四間氷期』の水棲人は、水中開拓植民地における人間の変形がテーマだと言えるのです。

1 件のコメント:

shakti さんのコメント...

練習としてコメントというものに書込。
グーグルのブロッガーは、もしかすると不便かもしれません。他の媒体にのりかえたほうが良いかも。