今、井上ひさしの『吉里吉里人』(1981年)もちょっと読んでいる。かなり分厚い本だが、読みやすいので苦労することはない。
この本はすでに20年以上前に出版されたものだし、小説の舞台は1970年ごろ(?)ではないかという感じだが、ある意味で全然古びていない。どういうことかというと、たとえば、8ページ
「この事件をアメリカの作家ヘミングウェイの実弟であるレスター・ヘミングウェイの独立宣言から語り始めるのもおもしろいだろいう。60年代の前半、数回にわたって、レスターはアメリカ合州国[←「州」の漢字を使っていた]大統領に宛て「ニュー・アトランチェス国」の分離独立を宣言している。彼はジャマイカ南方の小島を買い入れ、そこに人口一人の独立国家を樹立しようとしたが」(以下略)この事件がどのような意味を持つのか私は判らない。だが、2008年4月16日のMIXIコラムをよむと、コソボの独立などとの関連でレスターの独立宣言が話題になっているのだ。ちょうど本を読んでいるときだから、びっくりしてしまうのだ。
また、5月14日、ちょうど238ページを読んでいると、インターネットのBBCでUKのどこか(おそらくスコットランドだと思うが)の独立のニュースを報道していたのだ。なんという偶然か。小国独立というのが、いまなお新鮮なテーマの証だとも言えるが。
さて、本題だ。
吉里吉里国が日本から独立しようとするにあたって、日本国の東大教授がそれに反論するときの台詞が次である。
「植民地が独立する。この場合は話は別ですよ。もともとちがう国同士であったものが、ある力関係によって一方は本国、他方は植民地、合わせて一国のような ものになったにすぎない。つまりベニヤ板ですね。(中略) とにかく、本国と植民地は一種の合わせ物ですから、時がくれば木の葉が枝を離れて散るようには なればなれになってしまいます。そういうわけでありますからして、分離独立を企てる植民地に対して本国はあまりうるさいことは申しません。理解離婚に踏み 切ったカップルの別れの朝、荷物をトラックに積んで去っていく妻を見送る夫の心境ですね」(241-242頁)
「つまり第二次大戦後の植民地の相次ぐ独立は、先に申しあげた宣言的効果説によって保障されたものだといえましょう。植民地は『独立します』と宣言したそ の瞬間から国際法上の存在として成立したのです。(中略) ところがもともとひとつだったものの一部が分離して独立する場合は、まるで事情が違ってまいり ますぞ」(242頁)
「よしんばある国からそこの一部がどう分離したにせよ、その本国と新国家とが睨み合っている間は、関係諸国はなかなか新国を承認してくれません。イギリス から分離独立したアメリカをはじめて承認したのはフランスでした。がしかし、当のフランス自身、自分の行った承認行為をイギリス本国に対する不法な干渉だ とみなしておりました」(242頁)
ここでは、小説中の東大教授(と井上ひさし)の国家論や植民地論についての是非を詳細に議論するつもりはないが、それにしても「植民地」とその「独立」のイメージが偏っていて興味深いではないか。
まず、南北アメリカのような白人移住者=植民者が支配する土地を植民地だと認識していない点である。致命的な認識の欠落だといえなくもない。(ちなみにポストコロニアル文学論からすれば、アメリカや北アフリカ(アルジェリア)、南アフリカなどはきわめて重要な植民地である)。
ついで、植民地の独立を、子どものいない夫婦関係の理解離婚のメタファーでとらえている点だ。いうまでもなく、夫婦というのは、日韓併合を念頭に 置いていると判断して間違いない。たとえば台湾やアイヌには伝統的国家や教育もなかったのであり、妻と夫との関係で喩えるのは不適当である。「もともとち がう国」がベニヤ板のように合わさったというような類ではないのだ。井上は、この点については、あまり考えていなかったのであろう。また、夫婦を論じなが らも、植民地の結果として生まれた「子どもたち」についても議論しわすれているのも、興味深い。(もちろんのことだが、日韓が平和的な離婚に喩えられるべ きでないのは言うまでもない。また、インドネシアの独立宣言等がどのような結果になったのかとか、いくらでも批判できるというものである)
要約すると、井上の植民地の認識は日韓併合のことであり、植民地の独立とは、日韓が「そうであったように」、平和的な分離独立が可能であるものということになっている。もちろん、韓国・朝鮮独立後の在日のことだとか、アイヌや沖縄の独立運動の可能性などは、ほとんど視野に入っていなかったと想像することができる。1970年代の普通の日本人の感覚としては、そんなものなのかもしれないが、やや準備不足であるとの指摘は免れないだろう。(笙野の『水晶内制度』との比較も興味深いだろう)
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