例えば、いくつかの作品は、余りにも「ブス」についての言及が多すぎ、辟易してしまう。「そこんところ、もっと要領よくまとめてくれませんか」と思ったものだ。しかも、笙野が大してブスでないことが判ってしまい、しらけてしまう(笑)。
大塚某との「論争」などは、はっきり言って面倒くさい。なぜそう言った事に読者がいちいちつきあ合わなくてはならないのか。もちろん大塚某を読もうとは思わない。サイードの御本を理解するためにコンラッド、キプリング、カミュを読み込んだ私だが、笙野のために大塚は断じて読まないぞ! (当たり前である)
そういったイライラ感は、笙野がアスペルガー的性格だったということで、腑に落ちるし納得できてしまうのだ。(もっとも最近の作品群に関していうと、書くべき実に莫大なテーマをしっかりと見据え、あまり無駄がないように思われる。ときには繰り返し同じことを書くが、ご愛嬌というレベルだ)。
また、ある種の深読みが不要になる。例えば、近現代の恋愛至上主義的イデオロギーの批判を笙野に読み取る必要もなくなるだろう。笙野は、あくまでも私的な話をしているのであって、恋愛至上主義イデオロギーを批判しているつもりはないのに違いない。
或いは、次の文章などは、笙野をアスペルガー的性格とみなしていけば、判りやすく解釈できる。
モラルは人間の体にある。寄生している金毘羅はそのモラルを演ずるのだ。愛情も演じてみているのだ。演じついでに信じてしまわなくてはいけないのだ。というか本当に人間になりたいのです。でもできれば人権だけいただいてどこかに逃亡したい。(149ー150頁)
しかし、次のような鋭い指摘は、笙野がアスペルガーかどうかということとは直接的には関係ない。とはいえ、アスペルガー的性格だからこそ、このように認識しそれを表現してくれたのかと感慨深い。
私の、金毘羅の目からみれば、つまりたとえば文学の世界で語るべきことが何もないと言っている人間は新しく語るべき現実から目を背けているだけだと分かりました。または「私などない」と言っている人間は自分だけが絶対者で特別だと思っているからそういう抜けたことを言うんだと見抜けました。(中略)大量死で文学が無効になったという人間も爆撃テロで文学が無意味になったという人間も自分は死んでいません。それとも出家でもする気なんでしょうか。(110ページ)
こういうことをしっかりと書いてくれる作家がいる事を、とてもうれしく思う。私の学生時代、柄谷も重要であったが、それ以上に重要な位置を占めていたのは、哲学者の廣松渉であった。廣松の議論は「共同主観的存在構造」であるから、いわゆるブルジョア的個人主義の哲学は否定される。そのことはよく理解できるのだが、どう考えても、心と体を持ち限界づけられた個々の観点を適切に論じているように思われなかった。そのことを広松派の友人たちに論じたりもしたのだが、誰も理解してくれる人はいなかったのだ。今考えてみると、私が抱いていたのは、哲学的領域というよりはむしろ文学や神学の主題に近いし、より文学的に論じるべきだったのだ。しかし、いずれにせよ広松的共同主観的存在論では、認知しえない課題があることは確かだったのだ。それを今、笙野頼子が引き受けてくれている! なるほど、ついに現れたか! しかも、柄谷派の傲慢な発想を端的に指摘しておるじゃないか!
考えが「波動」になるだのお祈りが「粒子」になって万札を運んでくるだの。金毘羅は、むろん引っかかりませんでした。つまり金毘羅は言葉の中でしか生きられないがゆえに日本語というものいちいち言葉の通りに検討するからです。(115ページ)
これは痛快だ。(疑似科学批判のときに、オカルト批判の早稲田の教授を何度も何度も批判する事は、はっきり言って冗長すぎるのだが)。
要するに、言葉をいついかなる時であっても、雰囲気ではなくてロジックで理解しようとするから、こういう認識が可能になる。偽数学・偽科学によってごまかそうとする偽科学主義エリートをけっして笙野は許さないのだ。そのシツコサが偉い!
笙野アスペルガー説については、これまでとする。
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1 件のコメント:
笙野頼子が地球人ではないのは、実はアスペルガー的性格でしたなんていう趣旨の箇所には、もしかしたらファンが怒っているかもしれません。でも、別に悪気はないんですよ。怒らないでね。
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