2008年8月22日金曜日

ポストコロニアリズムの誤用を批判する

アマゾンにレビューを書いた。
植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発
野村 浩也

松籟社 2007-11
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あえて断言してしまえば、学問的良心の欠如した「悪書」である。

そもそも『ポストコロニアリズムという挑発』というタイトルが最悪である。サイードやバーバの文学的・学問的著作を本当に読んでみればわかることだが、ポストコロニアリズムの政治的立場はきわめて曖昧で、日和見的にすら見えるかもしれないものなのだ。たとえば、帝国主義や人種主義を信奉する作家を高く評価したのがサイードである。また、ファノン解釈においては、「偏狭な民族主義に満足するようなものでなく、ヨーロッパ人と原住民とがひとつにまとまって新しい反帝国主義共同体に参加する」ことを促す理論であると評価したのもサイードなのだ。要するに、野村たちの政治的立場とは明らかに異なっている。だから彼らに求められていた仕事は、むしろサイード批判であり、ポストコロニアルリズム批判のはずだったのである。もちろん本書のタイトルも、『ポストコロニアリズムからアンチーネオ・コロニアリズムへ』とすべきだったのだ。

私の議論が信じられないものは、フィリピン人の左翼文芸理論家Epifanio San JuanのBeyond Postcolonial Theory を読んでみるがよい。あるいは、アーニャ・ ルーンバ『ポストコロニアル理論入門』でもある程度は触れられている。

もうひとつの問題は、「日本本土」を一枚岩的に扱い、植民地=沖縄と対比させている点である。私見では、東京とアメリカが共謀して作り上げた真の植民地は、沖縄県というよりは神奈川県のほうだからである。たとえば、横浜開港は香港やカルカッタの開港と対比されるべきだし、横須賀市と相模原市は日本の軍都として建設され、今では米軍基地となっている。極めつけは、県民がペリー来航を大いに祝い、東京とアメリカに郷愁の念を抱いていることだろう。ちなみに相模原南部に私は住んでいるが、祭りの踊りは「阿波踊り」である。こういう土地こそ植民地と呼ぶのに相応しい。沖縄植民地論を展開している学者たちがそろいもそろって、東京のお膝元が植民地であることを何故見抜けないのか。なかには、神奈川で暮らしたり勉学したりした「無意識のコロン学者」がいるのではないか。

以上、多くの欠点があるが、部分的には興味深い題材はいくつもある。たとえば、コロン作家・池澤夏樹を批判したり、在日朝鮮人作家・李良枝を取り上げた点である。サイードという虎の威を借る狐の論法を捨て去れば、さまざまな可能性が開かれてくるだろう。

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