2008年7月16日水曜日

ポストコロニアルか反帝か(続々)

amazonで野村浩也のもう一つの本『無意識の植民地主義』のレビューも書いておきました。再録し、さらにコメントを付け加えておきます。


無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人
野村 浩也

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5つ星のうち 3.0 沖縄人による現代「日帝」批判, 2008/7/15
By shakti - レビューをすべて見る
沖縄支配を継続し、米軍基地を沖縄に強要し続ける現代日本人に対し、その帝国主義を厳しく告発する沖縄人社会学者による書物である。現代の日本帝国主義批判という意味で論旨はきわめて明快だ。また、容赦ない批判を「良心的日本人」にも加えていて興味深い。「良心的日本人」とは、要するに「無意識」の植民地主義者である。本書では、沖縄に在住し、沖縄を「自分の土地」と呼んでしまったコロン(植民者)作家・池澤夏樹に対し、痛烈な批判を浴びせている。

正論ばかりであると思うが、いくつか問題点を指摘しておく。

①野村は、サイードやポストコロニアリズムを彼の思想的道具として使っているが、これは学問的厳密性に欠く議論だと言わざるを得ない。サイードは、ハイブリッド性を重視し、キプリングやコンラッドのような白人の植民地主義・レイシスト作家をも高く評価する文芸批評家なのである。当然のことながら、彼は、サイードやポストコロニアリズムを厳しく批判せればならなかったはずである。(たとえば、San Juan, Beyond Postcolonialismなどを参照のこと)。また、日本人と沖縄人を常に二項対立させているのにもかかわらず、沖縄民族主義や沖縄独立について語ろうとしないのは、たいへん奇妙だ。

②沖縄を主題化するならば、植民地主義はあまり適切ではない概念ではあるように思われる。力をもちいて遠隔地(沖縄)を支配しようとする日帝の帝国主義こそが、最大の問題点のはずだからだ。

③沖縄人の立場から日帝批判をするのはよい。だが、他の被支配民族とか、日本の米軍基地周辺住民との連帯の回路があまり示されていないのは残念である。たとえば私の住む神奈川県相模原市は、日本とアメリカの植民地主義者・軍国主義者によって建設された軍都であり、深夜早朝でも米軍ジェット機の発着演習が繰り返されている。しかし本書を読む限り、相模原や大和市の基地住民が沖縄人と連帯することは難しいような印象すら与える。私には納得がいかない。

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このレビューではさらっと言及しただけですが、③の相模原市と沖縄との対比は実は重要な指摘を含んでいるつもりです。植民地の概念に関わる重大なテーマです。しかし、この件はしばしば感情的な大論争のテーマになりますから、別の機会に書くこととします。

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